2017/04/16

足し算の広告と、引き算の広告

90年代か00年代ぐらいを境に、
広告がおもしろくなくなった。
と思っている。

そもそも広告は面白がってみるものではないのだが、
広告屋さんの僻地に所在地を決めて、
その周辺をちょろちょろしていると、
自然と広告の見方とかに一家言ができるようになり、
それっぽく寸評なんかできちゃうようになる。

あと、古い資料をみるのが好きで、
自分が生まれる前のCMやCFはもちろん、
言葉がわからない国のCMなんかでも
喜んでみているというのもあり、
大した腕もないのに舌が肥えてしまった
といった感じで育ってしまった。

それで、似たような境遇の広告屋さんと話をするときに、
なんで最近の広告はおもしろくないのかという話題になった。

みている客が良くないって話もあるのだが、
あくまでも広告屋さんというのは
どんな相手であってもお相手する仕事なので、
それを横に置いて話をしていた。

結論から書くと、
マーケティングが台頭してきて
クリエイティブにリソースが
回んなくなったからだろう
なんてところで意見が一致したのだった。

どういうことか。

昔の広告はおおらかだった。
公取をはじめとする規制も緩かったというのもあるが、
なによりも、広告制作に対して理屈を使うことはなかった。
と、指導してもらってた老コピーライターが嘆いていたが、
そこらへんに関係があるとみている。

当たり前の話だが、広告というのは、
広告主がいて、媒体がある。
そこで、どっかでこさえた広告を乗っけて
広告としていたのだ。
ただ、媒体に出向するにも手間がかかり、
場合によっては、単発では契約しないという
強気なところもあった。
そういうところに対して
橋渡しをしようということで、
広告代理店ができ、
広告を出そうという意志を教えてもらえれば、
あとはよしなにやっときますよ、
なんて時代があったりした。

広告主は、伝えたいイメージや方向性だけ考えればよく、
それに対する肉付けは広告屋さんたちが
寄ってたかっていい感じに仕上げていたのであった。

これぐらいの目安は、広告の黄金期が始まる前、
70年代付近が目安だろうか。

広告屋さんの中では制作が強く
後に有名になるコピーライターやデザイナーとかが
バリバリと仕事をしていた時代だ。

広告に対して嗅覚の鋭い人たちが動きまわり、
どうやったらお客さんに
その広告でやった表現が刺さるか
いかにして見ている人を
振り向かせてみてもらうか
なんてことを四六時中やっていた時代である。

さて、時代が変わって今の話だ。
広告の目的はさしてかわらない。
そして、予算は絞られている。
そのくせ媒体は驚くほど増えている。

そして、広告理論が発達し、
大きな広告代理店では、
一流大学での学閥がうっすらとできていたりする。

そんな中で行われる広告制作は、
理学部のレポートを書くような感じで、
仮説と分析から始まったりする。
マーケティングと呼ばれる広告理論の寄せ集めで
広告主と広告受注者が意志疎通をしちゃうもんだから、
広告としてのパンチ力よりも、
この広告で市場に与える影響なんていう
仮説の方が通りが良くなったりする。

それが悪いというわけではないが、
分析と理論、集計と調査、なんてプロセスに重きを置くと、
広告制作をするときに付加条件が付きまくって、
制作をしているというより、
与えられたチェックシートを満たすものを
でっち上げる作業をしているのだか、
わからなくなってしまう。

デザイナーの人が言うには、
とがったクリエイティブは引き算が上手だとのことだ。
それこそ、ゆるキャラ界のレジェンドである
くまモンなんかは、それを大言している。

ゆるキャラという概念を作ったみうらじゅんが評するに、
いままでのゆるキャラと一千を描くのは、
なによりもその引き算の上手さにある。

従来のゆるキャラは、土地の名産品とかは
すべて乗っけられていたという。
それこそ、東京都でゆるキャラを作ろうと思ったら、
額に東京タワーがくっついていて、
左手に大島あたりの諸島が施されたりしているのが、
昔のゆるキャラの作り方だったのだという。

要は、足し算の作り方をしていたのだという。
だから、印象がもっさりしていたり、
使いづらかったりしていたのだという。
(使いづらいのはデザインだけの問題ではないが)

さて、くまモンは その点あっさりとしている。
あっさりとしすぎているのである。
暗闇に目とほっぺがあれば、
知っている人にはそれで訴求できるぐらいの
シンプルさなのである。

だからこそ、目立つしすぐにわかるし、
みんなに周知されるようになるし、
なにより、だれもが知っているようになる。
その結果、関連企業が使いたがり、
熊本県の思い切ったライセンシー戦略で
あっという間に全国区になったのである。

かわいいとか使いやすい以前に
デザインとして力を持っていたからこそ、
そのような流れを持っていたのである。
それは、よけいなものを足さず、
引き算で作り上げたからだ。

ゆるキャラで説明したんで、
脱線が激しかったが、
広告も基本は引き算である。

見せたいお客さんに向けて、
徹底的に贅肉を削り取って、
それでメッセージを飲み込んでもらう。

それをやるために、一つの言葉の中に
あれやこれやとメッセージが伝わるような工夫をしたり、
その媒体のその紙面でなければ意味がないぐらいに
表現を磨き上げたりということをしている。
少なくとも、制作側は。

マーケティング側はそうではない。
この表現が売れる、このビジュアルが良い、
といった調査伝票を片手に、
それを全部盛り込んでこようとするのだ。

そのいい例が、巨大幸子人形を作るために躍起になる小林幸子と、
銅像になっているビートたけしが出てくるあのTVCMだ。
さて、あのCM、何のコマーシャルだか覚えているだろうか?
すらっといえる人は、関係者だけだと思っている。
一般には、「広告枠で幸子とたけしがなんかやってる」ぐらいの
とられかたしかしてない、というのが、周りの人間を観察していての推測だ。

そういうCMがどうやってできあがるのだろうと考えてみると、
上で言ったような推測は、だいたいただしそうに思える。

小林幸子とビートたけしを出す意外性。
それに、広告対象者に受けがよいさま~ず(上記のCMに出てた)、
それらを組み合わせて、それっぽいストーリーをつけて、
なんて流れでできたのだと思う。

それでできあがったのは、何の宣伝かわからないけど、
豪華キャスト競演の(自称)おもしろCMとなる。

クライアントが不憫でたまらない。